レンマ
どうもこんばんは、ヨモギです
生きること死ぬこと
そんな事はあれでもそれでもどうでもいい事だ
生死に関する悩みが無い人はこんな風に考えるだろう
というより生死について考えたりしないのではないだろうか
因みに今日のブログはそんな内容のブログだ
興味のない人は最初から読まない事をおすすめする
まずはじめに
「レンマ」という言葉がある
Wikipediaにはこう書かれている
【レンマ(英語: lemma)とは、哲学用語のひとつで、「律」、「句」の意味。ギリシア語ではλῆμμα。「とる」、「受け取る」という直観的な把握の意味のギリシア語λαμβαυωから出来上がっている名詞で、本来的には、チャトゥシュ・コーティカ(サンスクリット語: catuskoti)のギリシア語訳でテトラ・レンマτετραλῆμμαという名前の思考スタイルが、これを4つ使って構成される】
何のことかさっぱりわからない
「ジレンマ」という言葉がある
「ジ」とはギリシア語で「2」のこと
2つのことに板挟みになって決められない状態を言うそうだ
それと比較して「テトラレンマ」という言葉がある
普通「レンマ」というとこっちを指すらしい
肯定か否定かの2択である「ジレンマ」に対して、こっちは肯定、否定、肯定でも否定でもない、肯定でも否定でもあるの4択らしい
要するに
【生きる、死ぬ】
これが「ジ(2)・レンマ」
【生きる、死ぬ、生きないし死なない、生きつつ死ぬ】
これが「テトラ(4)・レンマ」ということらしい
ギリシア哲学はジレンマだけど、インド哲学はテトラレンマで、そんな考え方もあるのだと知った
肯定か否定か、2つのうちどちらかを選ばなきゃ駄目だと思ってしまうけど、実際の事象ではそのどちらでもない選択肢が現れる
生きるか死ぬか
そのどちらでもない状態がある
というか、胸を張って生きてると言える人ってあんまりいないと思う
少なくとも、労働を嫌々やっているなら生きている時間のうち三分の一は生きてると言いづらい
因みに僕は仕事を嫌々やっている
まぁ今の職場は楽しくはあるが、正直仕事はしたくない
つまり僕の人生の三分の一は生きているが死んでいるのだ
もっと言えばもう三分の一は睡眠時間なので、その時間も生きているが死んでいるのだ
僕は今23歳だが50歳まで生きると仮定しよう
すると生きている時間の残りの全体は27年
そして生きつつ生きている時間はその三分の一なので9年だ
50歳で死ぬと仮定した時、あと経った9年しか好きに生きれない
それならば、32まで好きに暮らし、死んでも良いのでは?とさえ思えてくる
とても自分勝手ではあるが
生きるか死ぬか、そんな2択になってしまった人にはこれを読んでみて欲しい
まあ死にたければ死ねば良いと思うし生きたいなら生きれば良い
各々好きにしたら良いとは思います
ただ、この二択だけでは無いよというだけの話
「生きないし死なない」人生も、「生きつつ死ぬ」人生もある
そう思ったら、なんだかモヤモヤがスッと消えたような気がした
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そちらも宜しければ見てみてください
では、また